ご機嫌よう、式部です。
先日『パルテノペ ナポリの宝石』を鑑賞したので、今回はその感想です。
ネタバレを含んでいるため、気になる方はご注意ください。
あらすじ1950年、南イタリア・ナポリで生まれた赤ん坊は、人魚の名でナポリの街を意味する“パルテノペ”と名付けられた。美しく聡明なパルテノペは、兄・ライモンドと深い絆で結ばれていた。年齢と出会いを重ねるにつれ、美しく変貌を遂げてゆくパルテノペ。だが彼女の輝きが増すほど、対照的に兄の孤独は暴かれていく。そしてあの夏、兄は自ら死を選んだ…。彼女に幸せをもたらしていた<美>が、愛する人々に悲劇を招く刃と変わる。それでも人生を歩み続けるパルテノペが果てなき愛と自由の探求の先に辿り着いたのは――。
感想
美しく、面白い作品でしたが、少し難しいとも感じました。
主人公パルテノペの美しさとイタリアの街並みがとてもエキゾチックに感じられる作品でした。
オレンジ色の街と青い海が対照的で、キラキラと輝いて見えました。
個人的に印象に残ったシーンが2つありました。
1つ目は、開始早々に出てきた提督と馬車のシーンです。
海には似合わない豪華な馬車と真っ白なスーツを着た提督、全てが絶妙にミスマッチで、この映画のフックとなっていたように感じます。
豪華な馬車は、パルテノペの優雅で長い旅路を示唆しているようにも思います。
2つ目は、パルテノぺが生まれたシーンです。
出産の壮絶さ、海で生まれ祝福される娘、その一連のシーンの目撃者である兄ライモンド。
皆が祝福を送る中、ライモンドはどんな気持ちで妹の誕生を見守っていたのだろうと複雑な気持ちになりました。
また海で生まれ、パルテノぺという神話に関する名前が付けられたのがかなりオシャレだと感じました。
海で生まれたといえば、美と愛の女神アプロディーテ。
パルテノぺも作中で女神のようだ、と言われており、まさに美の女神のご加護を受けているような人物だ。美しさと人々の羨望を欲しいままにしている。
(もはやアプロディーテそのもののようにも感じる。)
ウィリアム・アドルフ・ブグロー 1879年
美しいと感じる一方で、よくわからないと感じた点も幾つかあった。
まずパルテノぺの感情。
その美しさで、たくさんの人を惹きつけるパルテノぺだが、
彼女が本当に愛した人は兄ライモンド以外いなかったようにも感じる。
関係を持った男性たちから「何を考えている?」と度々聞かれる彼女。
答えはなく、彼女の心はどこか遠くにあるように見える。
だからこそ、パルテノぺが涙を流し、マロッタ教授に抱きつくシーンは、
真の彼女の姿が見れたような気がした。
2つ目は、兄ライモンドの葬式にてコレラの消毒車が登場するシーン。
その後、コレラについての言及がなかったため、何のために登場させたのか?物語の転換として使いたかったのか?いまいち理解できませんでした。
3つ目は、ロベルトというナポリの男とのシーン。
ここのシーンはナポリの影を描いていたように思うけれど、ストーリーの流れがわかりづらかった。
(女優業に誘われる(光)→女優という仕事の現実(影)→ナポリ貧困層の生活と富裕層と教会の見せ物(影)?)
妊娠という物語の1つのマイルストーンのために設けられたものなのか?
テゾローネ神父との出会いの前置きとして設けられたのか?
ただ、このシーンがないと後に出てくる妊娠した学生とのやりとりに矛盾が生じたり、パルテノぺが他者への理解を深めるきっかけとなるシーンとの為、必要なシーンだったとは思うのだけれど、、
初見だと流れがわかりづらかった。(私の理解力が追いついていないだけだと思いますが、、)
物語の最後、若さを失ったパルテノぺが登場しますが、
そこに恋人の姿はなく、独りでたくましく生きている姿が、真の自由を感じさせます。
私の関心である「美」「老い」「女性のキャリア」に触れた作品で、もう一度じっくり観たいと思う作品でした。
それでは、、
追記;ゲイリー・オールドマンが演じた小説家の役とても良かった。
*1:公式HPより引用
