ごきげんよう、式部です。
先日映画『パーフェクトブルー』を鑑賞したので、今回はその感想です。
ネタバレを含んでいる為、気になる方はここでUターンして下さい。
概要
1997年公開、監督今敏によるアニメーション映画。
竹内義和の小説『パーフェクトブルー-完全変態』を原案としているが、内容は大きく異なる。
キャスト・スタッフ
霧超未麻:岩男潤子
日高ルミ:松本梨香
手嶋:秋元洋介
渋谷貴雄:塩屋翼
落合恵理:篠原恵美
監督:染田清之
AD:津久井教生
田所:辻親八
矢田:古澤徹
雪子:古川実子
レイ:新山志保
内田守:大蔵正章
村野:江原正士
土井正:陶山章央
電脳戦士パワートロン:遠藤孝一(レッド)、保志総一朗(グリーン)、谷山紀章(ブルー)
タク:三木眞一郎
サラリーマン:細井治
子ども:田野恵、本井英美
司会者:ショッカーO野
脚本:村井さだゆき
企画協力:大友克洋、樋口敏雄、内藤篤
プロデューサー:中垣ひとみ、石原恵久、東郷豊、丸山正雄、井上博明
演出:松尾衡
色彩設計:橋本賢
美術監督:池信孝
撮影監督:白井久男
音楽:幾見雅博
音楽プロデューサー:斎藤徹
音楽A&Rプロデューサー:堀正明
振付:IZUMI
制作総指揮:鷲谷健
アニメーション制作:マッドハウス
感想
主人公未麻がアイドルから女優に転身してから、未麻の周りに次々と殺人事件が起こっていくサスペンス。
本編の中に登場するドラマ『ダブル・バインド』が、本編のストーリーを辿るような入れ子構造になっており、現実なのか?夢なのか?ドラマの中の出来事なのか?混乱するような演出が面白い。
殺人に未麻も関与しているのではないか?
ラストの未麻の「私は本物だよ」の意味は何か?
ラストの鏡に映った未麻は本物か?
など様々な疑問が残ります。
私がこの映画を観て思い出したのが、「自分の存在は自分自身で『私は私である』と決定しなければ存在しない。浮遊した存在である」という説です。
未麻はドラマ『ダブル・バインド』の内容や置かれた状況から、自分が本当に朝霧未麻なのか?と疑心暗鬼になっていました。
又、”アイドルの未麻”(過去、ヴァーチャル)と”女優の未麻”とのギャップから、どちらが本当の自分なのか?と答えを出したがっていたようにも思います。
従って、『私は私である』と決定できず、存在が浮遊した状態だったのではないでしょうか?
そう考えると、ラストの台詞である「私は本物だよ」は、やっと自己の存在を自分で認識したという意味かも知れません。
デカルトの『方法序説』の命題「我思う、故に我在り」にも少し似ていますね。
(「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑う自分自身は確かに存在する。考える私は確かに存在する。コギト)
一方ルミの視点から連想したのが、藤本タツキ先生の漫画『ファイアパンチ』に登場する台詞「人はなりたい自分になってしまう」です。
ルミは”アイドルの未麻”を理想とし、自分と重ね合わせ演じていた。
(webサイト「未麻の部屋」はルミが運営していた事から、ルミが多少なりとも未麻を演じていたと言える。)
「なりたい自分=アイドルの未麻」を演じる内に、本当にアイドルの未麻に成り代わってしまうというのは、漫画『ファイアパンチ』でも似たような事が起きていた。
(ファイアパンチ内では、一部演じさせられていた部分もありますが、)
2人体制になったCHAMのステージに、突然”アイドルの未麻”が登場するシーンがありますが、このシーンでの未麻はルミだったのではないかと思います。
「なりたい自分」や「現実との乖離」、「自己存在認識」など面白いテーマが盛り込まれている映画だったので、様々な思想論などを基に読みといてみるのも面白いかも知れません。
更に、「夢と現実」というテーマも加わっているので、夢分析や精神分析的な観点から鑑賞するとまた違ったものが見えてきそうです。
それでは、、