ごきげんよう、式部です。
今回は最近私が被写体活動をする上で悩んでいる事についてです。
個人的な意見が多めなので、あたたかい目で見て下さい。
被写体活動について
私は約6・7年ほど前から写真に写る被写体や着画の活動などを行ってきました。
SNSをやっていない時期もあり、細々とやっているので、
声を大にして言うのは恥ずかしいですが、、。
普段のインプットのおかげか、表情やポーズは意識しなくとも、
最初からすんなりとできた気がします。
(※昔の写真観るとまだまだだなぁと思う事も多いし、
今でも写り方の研究は欠かせないですが、)
最近の小さな悩み
被写体活動を続けていく中で、最近小さな悩みが出てきました。
それは「カメラの前で100%以上のものが出し切っているのか?」という事です。
私の場合、カメラマンさんや撮影地の状況に応じて、
感覚的に65~95%で出力を調整している感じがあります。
静かで音楽や衣装、ロケ地と気持ちを一体化でき、
なおカメラマンさんへの信頼がある時、
集中力が上がり最大95%くらいまで自身を出し切れる気がします。
只、それ以上入り込んでしまうと、
カメラマンさんや周りの人、自分の体力に対する配慮や写る時の論理を忘れて、
独りよがりになる気がして怖いのです。
理性的な自分と感情的・直感的な自分が常にせめぎ合っている。
(エヴァのマギシステムみたい、笑)
カメラマンさんへの礼儀として100%以上のものを見せたいが、
100%以上を出した時に自分は自分を見失わないか?と不安になる。
私は俳優さんは詳しくないが、ダンサーさんや俳優さんを観ていると、
役や音楽に入り込みすぎて、
自身の身体や普段の自分をおざなりにしてしまっている方がいて、
それは美しいけれど鑑賞者がひやひやする事もある。
(あまり好きではないので使わないが、
所謂「憑依型」と呼ばれる方々のパフォーマンスは、
美しく唯一無二だけれど、時々鑑賞者が不安になるレベルであるという事。)
ある程度一人で完結できるパフォーマンスにおいては、
100%を出す事も楽しいと思う。
しかし、写真に写るという行為は、
2人以上がいて初めて成立する行為である。
(セルフポートレートを除く)
だからこそ、お互いへの気遣いや尊重が重要だと私は思う。
又、60%くらいで力を抜いて撮られた写真も、
ラフで素に近い雰囲気が出ていたり、
思い出として楽しかったり、
一概に力を抜くことも悪い事ではない気もするのだ。
更に、これは「写る行為」だけでなく、
他の分野でも言える事だと思う。
100%以上自身の内側を見せたり、パフォーマンスをしたり、
打ち込んだりって意外と難しい。
皆様は自身の100%以上を出した経験はありますか??
(自我を忘れる程、何かに打ち込んだ経験がある方、
是非教えて欲しいです。)
まだ100%を見せられない私だけれど、
最高の体力と環境を整えて、
どこかで100%以上を発揮してみたい。
(きっとその後燃え尽きてしまいますが、
それを経験するのも良いかなぁと思います、笑)
今回は、「私の100%について」でした。
それでは、、