ごきげんよう、式部です。
今回から美術検定の勉強メモを書いていきます。
勉強メモメモは公式本「西洋・日本美術史の基本」を基に作成しています。
原始・古代の美術
原始の美術
【ショーヴェ洞窟の壁画】
現存最も古い美術作品:フランスのショーヴェ洞窟の壁画
サイなどの動物が鉱物の顔料や墨などで描かれている。
描かれたと推定される時期:紀元前3万1000年前後(氷河期終わりの旧石器時代)
【ヴィレンドルフノヴィーナス】
紀元前25000年頃 オーストラリア
ウィーン自然史博物館
全体的に丸みを帯びており、沢山子どもを授かるように願いを込めて作られたのではないかと考えられている。
この時期に女性や動物を模した人形や骨や岩を刻んだものが多くみられる。
【後ろを振り向く野牛】
紀元前13000年頃
サン=ジェルマン=アン=レー、国立考古学博物館
【ストーンヘンジ】
紀元前2000年頃 イギリス、ウィルトシャー(新石器時代)
ヨーロッパには巨大な石を重ねたり並べたものが多く残っている。
これらは巨石文化の遺跡として残っており、墓や宗教的な意味を込められたのではないか?と考えられているが、詳細は明らかになっていない。
【原始地代の美術】
生活から生まれた力強い表現がとくっ帳。
仮面(マスク)や砂絵、昭三なども沢山作られた。
アフリカや南太平洋の島々、南アメリカの一部の地域では、この頃の文化を今も見る事ができる。
メソポタミアの美術
【歴史】
ペルシア湾に注ぐティグリス川とユーフラテス川に囲まれた地域(現在のイラク共和国)をメソポタミア地方と呼んでいた。
今から約5000年前、エジプトと同時に人類最初の文明が始まった土地。
紀元前4000年頃、ペルシア湾近くに都市を建設したシュメール人が、メソポタミア文明の基礎を築いたと言われている。
粘土板に文字を刻んだ「くさび形文字」や、太陽の熱で焼いたレンガ「日干しレンガ」などを発明した。
【白い神殿】
各都市の支配者がそれぞれの神を信じ、巨大な神殿を作った。
白い神殿は現在のウルクに残っており、人口の山の上に造られた。
【礼拝者の像】
紀元前3000年前半
イラク博物館
アブ神殿から発掘された。
この時代の人物像の特徴と同様、目が大きく見開いている。"魂の窓"といわれた目を残して、他の部分は大胆に省略された像の中には、神が宿ると信じられていた。
【アッカド王の頭部】
銅とすずの合金である青銅に金箔やラピスラズリを張り付けた美術品も多く作られた。
シュメール人に代わり、アッカド人がメソポタミア文明を支配するようになると、
シュメール美術を受け継ぎながら、支配者を賛美する美術品が多く作られるようになる。
【ナラム・シンの石碑】
戦争の勝利を祝った記念碑として世界最古のもの。
【ハンムラビ法典碑】
紀元前1750年頃
パリ ルーブル美術館
アッカド王朝後、メソポタミア地方の混乱をおさめ統一を果たしたのがバビロニア王朝である。
ハンムラビ王は人類最初に法律をまとめ、この法律を石の板に刻み、
法律の感性を紙に報告する王の姿も同時に浮彫となっている。
法律の内容は「人の目をつぶした者は、罰として自分の目をつぶされる。」という内容のもの。
【翼のあるヤギ】
紀元前4世紀
パリ ルーブル美術館
7世紀初め、メソポタミア地方を支配しえいたササン王朝ペルシアがイスラム帝国に滅ぼされる。
しかし、この頃の金属工芸や浮彫などのペルシア美術の伝統は、中国や日本、ビザンティン文化に影響を与える。
翼のあるヤギはこの頃に造られた金属工芸。
エジプトの美術
【歴史】
ナイル川流域で3000年近く栄えた文化。
エジプト美術の特徴は、生きている人間の為ではなく、王の魂が死後永遠に生き続けるのを助ける為に造られている事である。
王は太陽神ラーの子であると言われ、この世の生を終えた後も、
その魂は神々の元へと昇っていき、永遠に生き続けると信じられていた。
死後の遺体を永遠に保つ為の墓として、人工の山「ピラミッド」が作られ、
再び魂が肉体に戻ってくるときの為に肉体を保存する方法として、死体を乾燥させる「ミイラ」が考え出された。
更に、死後王が生活に困らないように、ピラミッド内部に召使や食べ物の絵を描いた。
【ヘシラの肖像】
紀元前2680年頃
カイロ美術館
王仕える者の絵。
特徴として、頭部をよく見せるために平たくねじれた人体になっている。
【しげみの中の鳥】
(クヌムホテブ墓室壁画・部分)
紀元前2400年頃
ベニ・ハッサン近郊
人体の絵と変わって精密に描かれている。
芸術家は美しい象形文字を書く技術を学ぶ必要があった。
美術も文字も約束事に倣う事が重要であり、独創性は要求されなかった。
まとめ
より自身の展示や絵画への知識や理解が深まればと思います。
それでは、、