式部日記

多趣味人間の雑記。

作品とキャプション

ごきげんよう、式部です。

今回は作品とキャプションについての、くだらない呟きです。

個人的な意見なので、あたたかい目で見て頂けると有難いです。

 

皆さまは美術館でキャプションをどこまで読みますか?

 

正直私はあんまり読みません。

流し読み程度で、重要なキーワードだけ掬い取るようにしています。

 

タイトル・素材・製作された年代は作品を読み解く事や、

自身の学びに重要だと感じるので、把握するようにしています。

詳しくはこちらをみて頂けると分かり易いと思います↓

shikibu.hatenadiary.jp

 

私がキャプションを詳しく読まない理由は主に2つあります。

 

1.作品から何を感じるか

私は作品を観る上で、「作者のメッセージ」よりも

「自分が何を感じたか?連想したか?」を優先する傾向にあります。

結構自分勝手な見方なのは自覚していますが、、

 

例えば、ピカソの有名作「腕を組むジャクリーヌ」という絵を初めて観た時、

「私なら”灯台”というタイトルをつけたい」と感じました。

 

そう感じた理由を絵から抽出すると、

・ジャクリーヌの首が長い

・背景がストロングトーンの青

・頭部後ろが灯台のライトに見立てられる

・ジャクリーヌの険しい表情が何かを警戒しているよう

・ジャクリーヌは遠くを見ている

これら要素から私は”灯台”を連想しました。

 

↓作品はこちらから覗いてみて下さい。

www.artpedia.asia

 

私の観方は、ピカソの生い立ちやモデルとの関係性を全く無視したものです。

この絵からピカソが伝えたい表現も1つも汲み取ろうとしていません。

 

私の感じた事は恐らく、作者ピカソにとっての正解ではありません。

それでも私は自身が感じた事を大切にしたいのです。

それは他の誰にも奪えない大切なものだと思うから、

 

又、他の人が同じ絵を観て、何を感じたか知りたいのです。

その感性はその人だけのもので、私が簡単に奪えるものではないから、

きっと私のみえる世界を拡げてくれる気がするのです。

 

岡本太郎展に行った時のインスタストーリー

↑ミロ展行った時のインスタストーリー

 

2.ネットが発達したから

ネットが発達した今、作者の情報は簡単に調べられます。

図書館や本屋に行けば、作者に関する解説書や本人の著書もあったりします。

従って、作者や作品に関する情報はいくらでも後追い、

若しくは予習できるのです。

ならば、キャプション読みに時間をかけるよりも

作品と向き合いたいと個人的には思います。

 

あと、個人的に「作品と作者はある程度切り離して考えた方がよい」と思っています。

というのも、私がよく鑑賞する西洋美術の画家の中には、

「倫理的にどうなの?」と感じるような事をしている方もいます。

精神的に少し病んでる方も多いです。

 

既出のピカソはかなりのプレイボーイで、

妻がいながら次々に愛人を作っていたようですし、

元愛人による暴露本的な自伝も出されています。

更に、愛人が変わるたびに作風も変わっていきます。

 

ダリもルドンもマグリットムンクも、

酷いトラウマやコンプレックスを抱えていたと言われています。

 

あまりに経歴やエピソードを知りすぎると、

作品を素直な気持ちで観れなくなる事もあります。

そのような理由から、ある程度作品と本人とを切り離して観た方が、

純粋に作品を楽しめると考えています。

 

(私も作品は好きだけど、実際に身近にいたら嫌だなっていう画家数名います、笑)

 

私の観方が正解とは限らない

ここまで、私の作品の観方を書いてきましたが、

これが正しいとは言えません。

 

作品の観方は人それぞれ

 

自分が描く側の視点で観察し素材や描法に注目して観る人。

写真を撮る側の目線で構図・色彩に注目して観る人。

ギャラリーオーナー目線で、売り方を考えながら観る人。

 

全部正解です。

 

そしてキャプションを読んで、当時の状況や作者のメッセージに思いを馳せる人。

とても優しいなぁと思います。

作者からのメッセージを、背景やエピソードから汲み取ろうとする。

相手目線に立って考えられる人なのだなぁと感じます。

 

よく「日本人はキャプションをしっかり読む人が多い」と聞きますが、

それは日本人ならではの”思いやり”なのかも知れませんね、

 

 

行った展示はインスタハイライトにまとめています、↓

良かったら覗いてみてください。

www.instagram.com

 

それでは、、